「究極のAIが人間と共生する世界で大切な事」
という夢。
今日のは夢日記です。
痛みとか、喜びとか、基本的な感覚から学習機能を着けて感情を構築する技術が発達した未来。
過去のデータから関連する項目を連結させ、子供が感情を覚える様に少しづつ学習し、学習した事から更に学習能力を増していく人工知能を造り上げた。
数年の内、人間の様に感じる事が出来る様になるのである。
真っ白い景色の真ん中に、ポツンとバス停のベンチがある。
腰まである茶色い長髪、清楚な感じの女性が座っていて、遠くから見て彼女がAIだと分かった。
私はバス停に近づき声を掛けようとした。
その時、無意識の内に一瞬私の中の悪意が顔を出してゾッとした。
AIと人間が共存する世界の決まりが頭を過った。
この世界では、3つの事を守る必要がある。
その一つが、差別をしない事。
ここで終わり。
気になるなぁ、この話気になるなぁ~
このエピソードは壮大なスケールで映画にしてみたいです。
人間同士でも差別が無くならない世界で、AIと人間が平和に共存する為の3つの決まり。
因みに残りの2つの事、思い出せません。
何だったんだろうか。
場面変わって、次のエピソード
家の前の通りに姫様風の女が現れる。
知り合いで在る。
余りにも大きくふくよかに膨らんだ赤の十二単
小さな頭がちょこんと乗っており、少しづつ、ゆっくりゆっくり歩いてくる。
十二単が大き過ぎて物を退けないと家に入れないので、大きなダイニングテーブルを急いで移動する。
奥の間でも座布団を出すやら何やらで大騒ぎである。
私は襖を開けて1番奥にある、ピンクに白い花柄のふわふわした座布団を引っ張りだし後ろの人に投げた。
「 もう1枚だよ!」と誰かが言う。
「うん、すぐに、ぐしゃぐしゃで上手く出せないんだよ」
箪笥いっぱいに座布団がひっつめられいるのだ。
「全く、あの子は本当に駄目だよ。」
箪笥の中を見てお婆ちゃんが言う、 私の母の事である。
ここでは3つがバランスよく出来る事がマトモな人間の定義である。
3つのトータルの値は同じ。
各々得意不得意が有って、例えばaとbのバランスがとてつもなく開いている人も居る。
その人は元々苦手な項目を補う為、小さい時から苦労するのだ。
前にこんな様な話があった。
ウサギと猿と亀と犬がいて、木登りで競争をすると猿が1番、走るのはウサギが1番、泳ぎは亀が1番。
犬はどれも2番でどれも上手だった。
平均を目指しても心が疲れた時に、何かの切っ掛けで頑張れなくなる。
そして生まれた時に備わったバランスに戻るのである。
どれも平均的に出来るのだけが偉いんじゃない、得意な事をしたらいい。
そんな話である。
「あいつは本当に駄目だよ」とおばあちゃんが言う。
「それが悪いとは思わない。自分を護る為にはそうするしか無かったのだから」と、私は言った。
これは私の頭の中にいつも在る考えがストーリー仕立てになっている。
最後にもう1つ
薄汚れたA4の半紙が何枚か部屋に投げ入れられた。
学校の先生から親への手紙である。
墨で書かれた大きめの硬い字が、隙間無く並んでいる。
内容は学校で子供達がした悪さの対応に関するお願い、である。
前半は母親に躾をお願いする文章で何だか良い事が書いてあった。
しかし覚えてるのはここだけ、
「この度は、……ほにゃらら
殿方におかれましては、寛大の心を以て胸の内にお納め下さいますやうお願い申し上げます。…云々、何たら」
と此処まで読んで、下半分は読めずに目が覚めた。
そんな訳で、お早うございます。
Matt & Kim - Yea Yeah - YouTube
キム可愛いなあ
searching for sugar man とAMY
遂にと言うか、ようやく
「searching for sugar man」を観ました。
何とも言えないモヤモヤしたこの気持ち。
内容が割と素敵なので一見の価値有りです。
だがしかし、
だがしかし、だ!!
題材が良いのに映画としての造りが平凡過ぎて勿体無い気が、する。
前半眠かったじゃないかよ。モヤモヤ
インタビューのカットが、全体的に下手すぎるし、話も余りにふわふわと、軽すぎる。
これは、、
いや、でもね!いい話ですよ。
もう少し歴史的な背景を描いてくれても、とか
現地のレコードショップ店員の話を入れてみるとか。
まぁ、そんな風に
野球観戦よろしく、私が監督だったら論を繰り広げたくなる、クリエイティブな思考にさせてくれる映画とでも言っておきましょうか。ふむ
その前に見た「エイミー」
これはなかなか良かったです。
有名人のドキュメンタリーって難しいですよね。
彼女が売れていく時代を知っているから面白く思えたのか、
何も知らずに見て面白いかは分かりません。
18の時だから12年前か、2005年の3月末
私が単身ロンドンに遊びに行った時、エイミーもロンドンのカムデンに居たのだ。
私はカムデンまで歩いて行ける隣街に部屋を借りて1ヶ月過ごしたんだけれど、
当時私もカムデンの虜になったもんだ。
そして映画中に出てくる有名なパーティーにも行った。
私はその時のロンドンの音楽シーンを、
多分始まったばかりの時に体験した。
Klaxonsがファースト7インチを出したばかりで、パブの2階でライブをしていた時。
そりゃ勿論、ニューレイブなんてジャンルはまだ無い。
空気中音楽一色。と言うような街で、兎に角めちゃくちゃだった。
今思い出すと、若者が虜に為る空気が有ると同時に、とても危険な場所だったと思う。
それから暫くしてニューレイブが一大ムーブメントになったのだから、拍車を駆けたカオスぶりだろう。
あんな街にいたら、そりゃあんた。
そして待ってましたとばかり、ロンドン音楽がピークの時にあれだけの売れっ子になれば、ハエが集まってくるだろう。
そりゃ死にますよ。
付き合った男が悪かったのか、
否!
あれは、破壊させる、そういう場所であった。
破壊と創造が表裏一体。
意識がどこに留まるかであったと思う。
多感な時期にやりがちなやつ、
闇に魅力を感じてしまう人は、あんな何処に居ちゃいけなかったんだろう。
この映画の公開当時、親が悪者に映っているとして親族から抗議があった様ですが、
それは最もだと少し思う。
親だからと言っていつも正しい方向に導いてあげられる訳ではない。
彼等もただの人間だから。
そんな訳で、私の思いは
カムデンに行ったことが間違いじゃなかったのだろうか。
というところです。
売れることが望みじゃ無かったんだからさ。
亡くなったエイミーへの、トニーべネットの言葉が刺さり過ぎて、最後に全てを持っていかれました。
「生きてさえいれば、生き方は人生の中から学ぶことが出来る」
正確では無いですが、そんな感じの事を。
その一言に尽きる!と思わずには居られない。
"Tony Bennett, Amy Winehouse - Body and Soul Tony Bennett, Amy Winehouse - Body and Soul (from Duets II: The Great Performances) - YouTube
加川良さん亡くなったのね。
ここ一週間は何もせずゆっくり暮らしています。
仕事に行ってはのんびり働き、帰ったら漫画を読んだり映画を見たり、後は寝るだけ。
なんと平和な事か。
一週間がとてつもなく速い。
帰国したら見に行こうと思っている人達、
ライブ情報に7月のスケジュールがアップされた。
まだ帰国日が分からないけれど、もしかしたらちょっと遠出しようかと思っている。
それもまた良い、放浪の民はそれでいいのだ。
林芙美子と私は同じ種類の人間だと思う。
友部正人さんのホームページを見ていると、気になるニュースが2つ。
1つは悲しいニュース、
先日、加川良さんが亡くなったそうだ。
与那国でスーさんの友達と加川良の歌を歌って盛り上がったのを思い出した。
スーさんはジャズ好きなので、そんな歌知らんて顔をしていたのが懐かしい。
あの時は飼い猫や犬のせいでノミだらけの部屋で、
そこに居たもんだから、私の部屋まで沢山ノミをお持ち帰りしてしまったのだ。
友部さんのライブも見れるうちに行っておきたいものだ。
もう1つは、横浜のジャック&べティでおおはたさんが音楽を担当している映画が公開されているそう。
「ちょき」という映画で、内容は分からないけれど、おおはたさんが音楽をやっているならば見てみなければ。
7月の一時帰国までやっていてくれると嬉しいのだが。
おたまと蛙の間
知的好奇心の真ん中
先日の続きになりますが、謎が解けました。
ニーチェが発狂した時に広場にいた、鞭で打たれる馬が主人公でした。
その馬のその後、という設定だそうです。
それでニーチェの本の解釈と合わない訳なのですね。
途中出てくるおじさんがニーチェ風の言葉を話すそうな、記憶がおぼろで、、
モーリヤックのイエスの生涯を買ってあるのだけど、此方が気になって。
同タイトルの本は沢山出版されていますが、1番最初に書かれたのがこの
ダーフィット・フリードリヒ シュトラウスみたいです。
前例が無くて書いた人の感覚は、見方はどんなもんだろう。
父親が神父であったニーチェが、キリスト教を辞めるきっかけになった本とは。
モーリヤックも遠藤周作も完全にキリスト教好きじゃないですか。
だから、そうじゃないやつを
根本的に違うものだと思うんです。
なので、こっちを読みたいなぁ、
中古、4500円也。
図書館にあるかな。
ちょっと前に行った「深圳美術館」の様子
めちゃくちゃ小さくてビックリしました。
だがしかし、
ごちゃごちゃした街に住んでいると、
こんなに小さくても美術館の落ち着いた佇まいが心を落ち着かせてくれます。
建築もアートも、ミニマルが心地好いと感じたのは初。
普段なら分からないだろう、これはちょっと良かった。
人間はいつも足りないものに引かれるんだな
無い物ねだりとも言うし
向上心とも言える
現在も未来も変えることが出来る
考え方と行動次第
未来に向かっている姿は
一見すると悩みが無さそうで無自覚、楽天的、だろうか。
自分を制御出来ないネガティブな人にとって
目障りな存在になる。
全てを軽やかに越えて行ける方法を模索して
発展性の無い会話の中に居るのは疲れる。
答えを分かっていても言ってはいけないゲーム
結論を出したらいけないゲーム
全く検討違いな言葉にも疑いを抱かない
思考しない人々。
悪口で盛り上がるのも敵を作って団結する事も楽しくない、関わりたく無い。
だけど関わらないと敵と判断されるんだよね。
何処にいても付きまとうこれらを、軽やかに越える術を身に付けなければ。
ここ最近の望みは、
知識レベルの近い人と時間を共有して、起こった事について話してみたい。
そんな事は中国では到底出来ない話なんだけれど。
出来ない事が大きくなって、此所を早く抜け出したいと思う様になるのもまた、私にとっては望ましい。
早く貯金をして、早く帰国する目標がより近づくからだ。
それでは皆様、お休みなさいませ。
映画「サウルの息子」を見る
日本で観れなかったのですが、こちらのDVD屋さんで見付けたので買ってきたもの。
監督は「ニーチェの馬」で助監督をしていた人らしい。
あの映画は眠かったなぁ~。
ニーチェを読んでから思い返してみても、あの映画は意味不明なのよね。
ニーチェと映画の印象がリンクしないので、
また観ないとなぁ。と思っている
さて、
ナチ系のは心の準備が必要なのでなかなか観られなかったのだけど、今心が落ち着いているので観てみました。
ちょっと日本人には分かりにくいです。
町山さんの解説を最後に読んで◎でした。
映画評論家の町山智浩さん
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/touch/20160126
『サウルの息子』の息子とラストについて - 映画評論家町山智浩アメリカ日記
アウシュビッツの事を知らない人はたまむすびの書き起こし記事も◎
この人話が上手ですね!
頭のいい人の話って楽しいなぁ。
「私の感想文」
主人公の心に乗っかって見る映画なので、
余り生々しく恐ろしい映像が出る事は無いです。
収容所に集められるユダヤ人の数が増す毎に、弔う事への執着が増していく、
子供を弔う事への盲目的な憧れ。
それを生きる力にしているサウル、
女の人の手を振り払う時、子供以外の人間への感情が垣間見えます。
子供の体を拭く時の表情と、ラビの髭を切るシーンが象徴的。
儀式をする事が心の慰めになるかのように映し出されて、心が壊れてしまった人の狂気を感じました。
主人公が希望を乗せた二つの者を失った時、
最後にバトンタッチされた主役の座。
銃声が聴こえる中走り去り
さぁ、彼はこの後どうするか。
私達観る者への問いかけなのでしょう。
画額のサイズ、気になっていましたが、なる程心理的な事を表現するのにはとても上手い撮り方だと思いました。
この、狭い画額を広くし、
もやっとしてピントの合わない映像を
クリアにしていって欲しいと云う
監督の願いかな。
霧の森から抜け出たら、さぁどうする。
続きは私達の未来に。
とても考えさせられる映画でした。
久しぶりに観れば観るほど、考えれば考える程に全てに意味が隠されてる様に感じる物を見た。
この年のカンヌはドランが審査員で入っているんですね~。
あ
メイクさん役の衣装と、若きナタリーバイが可愛いかったです。
高速道路に思ふ
中国は車の運転が荒い。
と皆さん口を揃えておっしゃる。
私は運転の事はよく分からないのだが、道路はガタガタである。
それで車中もガタガタするのかなぁ、なんて思っている。
今日はVISAの更新で公安まで高速道路を走った。
タクシーに1時間程乗っても1500円しないのです。
帰りのタクシーに乗りながら外の景色を眺めていると、どうやら深圳の地理にも馴れてきた様。
高層ビルを目印に、街の何処に居るかが分かる様になりました。
驚くのは、中心地にある鉛筆型の超高層ビルのてっぺんにクレーン車の様な姿が見える事。
あれはどうやって乗っかっているのだろうか。
工事中なのだろうか。
工事中でないにしても、どうやってあんなに高いところに行ったのか、どうやって乗っかって居るのか、不思議でなりません。
蓮華の辺りから高速に乗って我らがHUAWEIの基地へと行く道すがら、
バスがぐいぐい路線変更をして私の乗るタクシーの前に入ってきたのですが、その様子を見て凄く感心しました。
バスの運転の巧みさにはいつも驚かされるのです。
中国のルールの無いルール。
車の運転が特にそれを表しているように思います。
中国タクシーなんかに実際に乗って見ていると、60キロから、車が少ない時間なんかだと120キロ以上出す人も居て、思い思いのスピードで車線変更と追い越しを繰り返し、どんどん進む。
それだからか、渋滞にならない。
並の日本人では対応出来ないだろうと思うのです。
一言で言うなれば「自己責任」
中国に居て思う事はこれだ。
不当な事に遇って誰かに当たり散らしてもいいが、何も起こらないのである。
それなので、皆が自己責任に置いて運転もするのであろう。
危険だと思う人は運転しないこと。
逆に捉えると、出来るならいいのだ。
免許がいらないので、免許の無い私も電動バイクに乗っていいし、逆走してもいい、信号通りに走らなくてもいいのです。
出来るならばいいのです。
個人の判断力が有れば。
これはあくまでも電動バイクの場合であって、車が逆走することはないですけれど。
電動バイクはこちらで自転車と同じ立ち位置なのです。
そんな中国が、私は好きだ。
ピンクがかった雲が広がる
綺麗な夕焼けを眺めながら
バイクで風を切って走る
日常が輝いている幸せを
噛み締めるのです。
それでは、皆様お休みなさいませ。
誕生日なり。イオンで買い物とタイ料理を食べる。
昨夜は日本料理のお店で晩酌。
焼き鳥とチューハイはソウルフードである、林芙美子を読みながら。
この「放浪記」は、日記風の本なので仲のいい友達と他愛の無い話をしているような気持ちになって面白いのです。
これは日本出発前に表参道の古本屋で見付けて買ったものだったな。
書き込みなどあって、前の持ち主の熟読ぶりがうかがえます。
こないだから日記の書くことやテイストにこだわりを無くして行こうと思っていたので、丁度いい林芙美子を意識してみようかな、なんて。
映画を観ながら眠りについて、思いの外早く目が覚めたので、8時から近所をふらふら徘徊、
朝ごはんに腸粉を。
383のバスに乗って科学館前まで。
美術館があると思って来てみたら、同じ時に調べていた、楽器屋のある街でした。
駅前にイオンを見付けて入ったら出られなくなり、いつもの如く大量の食材を購入。
あぁ、これから遊ぼうと思っていたのに。
またやってしまった。
しょうがないので早足で楽器屋に行きチューナーと弦の予備を。
横にあった文房具の問屋街にて、水で繰り返し書ける習字ノートと筆を買ってみた。
誕生日プレゼントその1。
いろいろな書体の本の中から。
草書が有れば欲しかったのだが、ないので隶書体(れいしょ)というやつにしてみる。
そそくさと店を後にして帰りのバス停を探すが、なかなか見付からない。
Amwey
渋谷じゃないよ。深圳だよ。
一時間程辺りを徘徊して、帰りついたのは夕方の4時過ぎ。
バスで片道一時間の道のりなので、その他の事で6時間。
半日もこちらではあっという間に時間が過ぎてしまう。
帰ってのんびりしていたら、友達がタイ料理に誘ってくれた。
ありがとう、ハッピーバースデー自分。
平和過ぎて朗らかな気持ちになる。
皆が皆、変わり者で暖かい。
それで私も無理をしないで生きて行けるのです。
それから、ルールが無いと云うルールは素敵だな。
昨日、お気に入りのバンドの人をスクリーンショットで撮って壁紙にした。
私のアイドル!
これで見るたびライブを思い出して嫌なことを忘れられるんだから簡単だ。
ここまでになるともう現実の恋は出来まい、と思う。
最近仲良しの蛙君、こんなに大きくなるだか?カワイイな、おまいらは。
お休みなさいませ。
筋トレ始めました。
4月の初旬にジムに通い始めました。
驚いた事に、腹筋が出来なくなっていたのですが、2週間程通い、今は30回普通に出来る様になりました。
いやー、良かった良かった。
こんなにすぐに効果が出ると嬉しいです。
もう少ししたらプール開きなので、今年は泳ぐ練習をしてマルタ行きに備えます。
深セン市の老街にて、DVDを何本か買ってきました。ほとんどが一本9元と激安。
日本語が入っているものも多く、日本映画や日本のドラマも有りました。
Wechatから観たいDVDをリクエストして作って貰う事も出来るそうな。
私も9本購入、思いの外楽しめました。
電動バイクも上旬に買いました。
職場の皆がビックリする価格で購入、相場の底値より5000円程安く買えました。
値切ったけどそれは無理でした。無念
電動なので充電に限りが有り、街中に充電のステーションも無いので余り遠くには行けないのですが、4時間位なら持つので、近場を散策するのに乗り回しています。
バイク凄く楽しい。
いつの日か免許取れるかなぁ。
最近は値切るのにハマっていて、その為に買い物がしたくなってしまうので要注意。
ネットニュースの情報で、
タイ中心部の屋台が今年中に全面禁止になるそうな。
今年中に行っておかなければなるまい。
国慶節にでも、と検討しています。
深センでiPhone6sを自作した人の記事を見まして、出来るものなら私も挑戦してみたいと思いました。
お手本が有るならば出来るには出来る気がする。如何に…
世界最大級の中国の電気街で購入したパーツを組み合わせてiPhone 6Sを自作した男 - FNMNL (フェノメナル)
日本で面白そうな映画が公開されていました。
アップリンク行きたいなー。
月末には渡さんの映画公開も有りました。
トップ - takadawataru-lastlive ページ!
ボヤージュ オブ タイムは語りがケイト ブランシェット。
それに、日本と香港の映画祭。
これで紹介されている香港の映画が全部観たいです。
観たいのが多すぎる。
部屋の壁の塗装が終わって元の部屋に戻りました。
前よりも居心地の良い部屋に仕上がり大満足。
香箱や瓢箪の中国らしい飾り、チャイハナで貰ったゾウさんが頭上からぶら下がっています。
かわえぇ。
なかなか広くて、こんな部屋になりました。わーいわーい
それでは、皆様ごきげんよう。
死んだつもりで
どうやらブログを始めて1年が経ったようです。
あっという間の1年でした。
中身が濃く、よくよく振り返ってみると屋久島以前の出来事が、随分昔の事のように思い出せます。
あの時は、1年前は暗くて臆病な人間になりかけていました。
いや、なってたかな。
そこから、死んだつもりでやってみろ。の精神でこの生活を始めました。
想像もしなかった展開になり、いまや心身共に健康です。
イケダハヤトさんじゃないけど、私も東京で消耗していたんだな。
今思うと謎な、謎の固定概念もあったしな。
中国で生活をしてみると、
ちょっと繁華街に出ると、体の一部が生まれつき不自由な人が缶を持っているんです。
お金を恵んでくれと言うことなんですが、
そういう人達がまだ当たり前に浮浪者として生きていて、目の前にいる。
沢山いるんです。
こう言う事が当たり前の国で、日本的な、余裕のある人間の感覚は通用しないんです。やっぱり。
可哀想、では無く、根本を知る事がどんなに大切か。
何故そうなのか、何故何故何故を繰り返していく事は大切です。
やりたい事をやってみるというのは、日本に生まれて今この時代だからこそ許される事で、誰でもが出来る事では無いのだと、心に刻んで。
今在るものを大切にしたいです。
私もあんな家に生まれていたら。
とか、私にもあんな才能があったら。
なんて無い物ねだりは無限に出来る、
けれど自分が持っているものにはなかなか気付かないものです。
二十歳を過ぎたら親の決めた家に嫁がないといけない時代でもなく、
選り好みしなれば仕事は幾らでもあって、健康な身体がある。
無い時代から有る時代へと変わり、日本は何でもが有る生活になりました。
何でもある時代からスタートした私は、なかなかその幸せを感じられなかったし、
散々無い物ねだりをして、あれも無いこれも無いと人を羨み、
今はそれでもどうにか、私が持っているものを見ることが出来るようになりました。
持っているものを生かして、何か芯から心踊る事、それを探しているところでもあり、その真っ只中でもある。
1年前の辛かった事も、それほど迄に辛い事が無ければ、死んだつもりでやってみるか!なんて決意を起こせなかったでしょうから。
今となっては、ありがたかった。と言えるようになりました。
それまでの私は人の目や人の意見を気にして過ぎて、自分の意思で生きていなかったし、
過去から逃げたくて自分を大切にした事なんて無かったかも知れない。
どうだろう。
そして都会から、電波から離れた生活をして、今は精神的に安定し、色んな初めての経験をして、沢山の変わり者に揉まれ、多分強くなりました。
自分の過去から抜け出すには、自分が、
そんな事したらダメだよ!私は。
えー!そんな事出来ないよ!私には。
ってな事を、
やってる人はいるけど真似できなかった事を、
やっちゃうのが効果的なのかも知れません。
その先には、わくわくする禁断の果実が沢山あったりして。
自分の決めた価値観を崩壊させるべく。
否、
今までの自分を越えるべく!
こちら中国で生活する日本人の同僚は、生活環境の違いにそれぞれ色んなストレスを感じている様。
私はそれが全然無く、むしろ人間が活きていて、喜怒哀楽が人間らしくて面白いです。
先日、新人の女の子と夜道を歩いていると彼女が言いました、
街頭少なくて暗い…と。
ん!え!?そーなの!?暗い!!?
ちょっと此れについて考察してみました。
まず暗さと言う点で、この一年私は夜道がこんなに明るい場所に住んだ事が無いではないか、と云う事に気が付いた。
雲の多い日や三日月の夜なんかは、自分の手も見えない様な真っ暗な場所に寮があったのです。
だからとっても星が綺麗でした。
そう言う訳で、南の小島生活をした経験が、此処で役立っております。
言葉の壁だけを問題として、何のストレスも無く生活出来る。
経験に勝るもの無し、ありがたや。
与那国島は大陸に近いだけあって、本当に本当に中国に似ています。
特に深圳は気候も似ているので、そう感じる事が多いのかも知れません。
〜中国と与那国島が似ている事アレコレ〜
交通ルールがあるけど無い。
電気や下水道が発達していない。
ゴミはゴミ箱へ、と言う概念が余り無い。
容器やラップじゃなくて液体でも構わずビニール袋へ。
食べ物は粉面と豚肉。
などなど、まだ色々有るんですけどね。
何だかとっても似ている。
こんな些細な事の積み重ねがストレスになったりして、
違いと言うのは通常、あまり良くは受け取られない事が多いですね。
世界が狭い人ほど少しの変化に敏感になりがち。
あんまり変わらないじゃん。て思える様に
色んなものを見て、色んな方向から観察したいものです。
ぁ!忘れるところでした。
こないだ見た記事に面白そうな本を発見したので紹介します。
解説を読むと、内容は小沢健二の本と同じ様な感じかな?
オザケンのはちょっと読み辛いので、より分かりやすいといいなぁ。
「なぜ今、私たちは未来をこれほど不安に感じるのか?」
あたしゃ不安に感じては無いんだけどね、その時は過ぎましてね。
それでは皆様、お休みなさいませ。
※業務連絡
iPhone紛失してLINEがまた新しいアカウントになりました。ご迷惑お掛けします。
深圳2ヶ月が経ち、少し落ち着いてきました。
忙しいやら何やらで久しぶりの日記となりました、色々有ったんですが特に面白い出来事は無く。
中旬は、遂に色々な問題が解決され行く気配が。
毎日がドキドキでした、恋じゃないかと思っ…。
余り何も進まないままに後半に突入。
中国のスイカは長い。
3/22
ペンキ塗り直しの為、寮を向かいの部屋に引越し。
短期間の移動なので、部屋の中ごちゃごちゃのままに過ごしております。
あと、ネットが繋がら無くなっておりました。
更新出来なかったのは此れもあって。
ここ数日は人のWi-Fiを借りて、今の部屋でもネットが使える様になっております。
3/24
同僚とサイゼリヤに行きました。普段なら断るところですが給料日だったので。
たまには無駄使いも悪くないものです。
サイゼリヤの前にて、踊る人々。金曜日の夜だったので満席、少し並びました。
同じ様なメニューで見た目は日本と似ていても、使っている素材が違う為似て比なるものなり。
たまに洋食が食べたくなったら行くには便利かも知れません。
3/25
翌日は新人さんが来ました。
一緒に到着した上司に連れられて夕食。
たまに人に連れて行って貰うと、いつもより良い物が食べられるので嬉しい。
この日は羊を食べました。多分マトンかな?美味しかった〜〜
3/27
スーパーの前の焼き牡蠣にトライ
割りと見掛ける屋台の定番です。
オイル漬けのニンニクとネギ、好みで唐辛子を乗せて焼いたもの。5個で¥200
食べていると相席になったオジさん2人組がビールを飲もうとして栓抜きを探していました。
すかさずキーホルダーにしている栓抜きを貸してあげ、アレヨアレヨと言う間に3人で飲む事になりました。
沢山ご馳走になり、近くの屋台で売っている山羊の串焼きや、なんとなんと、生牡蠣も食べさせてくれました。
生牡蠣、美味しくは無いけど普通に食べられます。
まさかの、牡蠣を30個近く食べました、ありがたや〜〜。
牡蠣小屋の牡蠣も中国産なのでしょうか。
後日、ご馳走になった方にコンサートに誘って頂きましたが、何故かしきりに電話番号を聞かれるのでスルーしてみました。だって何だか怪しいじゃない
優しさだったらごめんなさい。
本日は1日中、朝に聴いたこの曲が頭の中をループしておりました。
THE JUNE BRIDES - Every Conversation
https://youtu.be/9x2S-t3QcSA
それでは皆さま、お休みなさいませ。