万引き家族観ました。

 

映画「万引き家族
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パルムドール獲っただけあって、中国でも上映されていました。

邦画はあまり見ないので、是枝監督作品は初めてでした。

 

あまりにも自然で、とある家族の生活を覗いてる感じです。

自然過ぎる事に映画として違和感を感じる位でした。

映画館に映画を観に来てるのに、人んちの食卓に紛れ込んじゃった感覚のほうが先にたって、変な気持ちになるんですね。

 

最後の安藤さくらの言うセリフ

「捨てた人は他に居るんじゃないですか?」

社会やルールへの怒りと諦め、悔しい気持ちが相まって、役者に乗り移ったような気持ちで感情移入してグッときました。

名シーンだったなぁ。

 

色々な監督インタビューを見た中で、珍しく映画のメッセージについて言及しているものが有ってとても参考になります。

 

『万引き家族』是枝裕和監督が描いてきた「見えない家族」とナショナリズムへの問題意識 - wezzy|ウェジー

是枝監督はカンヌで、韓国の大手新聞・中央日報のインタビューに応え、この貧困家族のドラマを描いた動機を語っている。まず日本で年金の不正受給事件が厳しく糾弾されたことについて<人々はなぜこのような軽犯罪にそこまで怒ったのか>を深く考えたことが契機としてあったという是枝監督は、日本では経済不況による人々の“格差化”が進行していることに触れ<政府は貧困層を助ける代わりに失敗者として烙印を押し、貧困を個人の責任として処理している。映画の中の家族がその代表的な例だ>と、セーフティネットが手薄でなんでも自己責任とされてしまう社会状況に言及している。そして日本国内で台頭する歴史修正主義にも次のように警鐘を鳴らした。

<共同体文化が崩壊して家族が崩壊している。多様性を受け入れるほど成熟しておらず、ますます地域主義に傾倒していって、残ったのは国粋主義だけだった。日本が歴史を認めない根っこがここにある。アジア近隣諸国に申し訳ない気持ちだ。日本もドイツのように謝らなければならない。だが、同じ政権がずっと執権することによって私たちは多くの希望を失っている>

 もちろん字数に限りのあるインタビューで一言一句すべて是枝監督の発言そのままだとは限らない。しかし是枝監督は、昨年発売の『文藝別冊 総特集是枝裕和 またここから始まる』(河出書房新社)でもやはり、政治、政権に触れている。同書に収録された「週刊金曜日」2016年5月13日号(株式会社金曜日)初出の武田砂鉄氏によるインタビューで、安倍政権の「伝統的家族観」について思うところはあるかと聞かれた是枝監督は、<(伝統的家族観という)その考え方自体、肯定・否定のいずれかに決めつけるつもりはありません。しかし公権力がこういう家族観を目指すべきとするのは実におこがましいことです>と語る。自民党憲法改正草案の24条「家族は、お互いに助け合わなければならない」についても<そもそも憲法とは、国家の、国民に対する約束であるはず。(中略)なぜそこに、私たちの義務が書かれなければならないのか>と異議を唱え、今回のカンヌでのインタビューと近い次の言葉を残している。

<企業共同体も地域共同体も家族共同体も壊れかけている。何かによりかかって生きたいと思ったときに、ナショナリズムは最も安易です。しかし、それしか提示できないのは政治の貧困です>

 同じく『文藝別冊~』収録の、「感動よりも思考を」と題した『世界』1999年11月号(岩波書店)初出のエッセイで、是枝監督は、オウム真理教の報道を例に挙げ、当事者意識の欠如した映像メディアが視聴者の<知ではなく情>に働きかけることで、<ヒステリックな感情的リアクション>、つまりオウム真理教への怒りを噴出するように機能していることを<その行為が生み出すのはもはや怒りの連鎖でしかない>と綴っている。確かにそこには、不安を煽られ、信者たちに恐怖と怒りを向け、総括と謝罪を迫る視聴者たちの感情が渦巻いていた。こうした映像メディアのありかたを是枝監督は追及し、ここでも歴史修正主義に触れている。

<しかし、では彼らに自らの行為の総括を迫る私たちは日の丸、君が代が果して来た役割をどんな形で総括したのだろうか? 謝罪は終ったのだろうか? 「侵略戦争はなかった」という類の言説が声高に主張されるようになった現状の中で、果して日本人が五〇年前に犯した行為をどれ程の人が当事者意識を持って考えているだろうか?>

 是枝監督が描いてきた家族は、ほっこり・感動・号泣……といった気持ちよくなめらかに消費可能な物語とは対極にある。愛や絆でスルッと解決して幸せになどなれない。思いやりも助け合いも大切なことだが、それだけで人は生きていけないのだ。ナショナリズムをよりどころに、失敗を自己責任に回収し続ければ、ますます日本社会は生きづらい場所になってしまうだろう。

 パルムドール受賞により『万引き家族』の上映は賑わうことが予想される。是枝監督が作品に込めた問題意識を、しっかり受け止め、共有したい。

 

ライターが同い年の女性でした。

いい文章書きますね

 

この映画を見た後物想いに耽っていて思い浮かんだのは、こんなこと

人が正義感を丸出しにして小さな犯罪に口を出すのは、

文句言える範囲の事だから、只それだけでは無いかと思う。

例えば南米とか、子供がマフィアに憧れる、そんな世界も有る。

警察がマフィアを捕まえて、仕返しに捕まえた警察の家族が虐殺される。

何てことも有るらしい。

 

  • 正義を振りかざすだけで世界は良くなるのか、
  • 善悪はどうやって学び判断するのか
  • 窃盗を悪い事だと思っていない大人に囲まれて育った少年は、窃盗を悪い事だと感じるようになるのは何でなのか。

要するに、人間愛は何に因って形造られるのか。

かな?

 

規定を作ってもどうにも出来無いくらい複雑だ、生き物どうしの関わりは。

私はこの映画から、そういうメッセージを受け取りたいと思います。

 

その辺のメッセージがとても入念に、伏線を張り巡らせた様な造りで語られていて、

更には細部に描かれた、答えを残したままの、小さな人と社会の問題があり、

思い返すのが楽しい映画でした。

また見たいです。

 

1つ、どうしてもコレはなぁ!って思うのは、

樹木希林がインタビューで言うように、

リリー・フランキーの声にどうやっても消せない知性が滲み出ている。

と云うところが勿体無いなぁ、と思いました。

 

頭の悪い男だから、グチャッとした人間の汚い部分が在るけれども、本人は何も考えちゃいないし分かってない、楽天的で子供のまんまという感じが出てたらよりいいなと。

そこから父親てどんなだろう、父親みたいなのやってみようかなぁ、とやるシーンももっと子供っぽいと周りの役の感情を受け取りやすくて、私は好きかも知れない。

 

是枝監督がリリー・フランキーを好きで、出てくれて演技してるのを見るだけで楽しいのだろうと察しているけれど

「そこはフラットに行きましょうよ。笑」

 

どこまでもフラットな視点を貫く是枝監督も好きな役者には甘いんですね。

分かります!!

 

それでは皆様ごきげんよう